最高裁判所第三小法廷 平成9年(あ)14号 決定 1997年4月15日
本籍
石川県珠洲市寳立町宗玄二五字三四番地
住居
名古屋市港区名港一丁目一四番一七号
無職
橋元昭子
昭和二年三月二七日生
右の者に対する所得税法違反被告事件について、平成八年一二月一二日名古屋高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立てがあったので、当裁判所は、次のとおり決定する。
主文
本件上告を棄却する。
理由
弁護人髙橋美博、同今枝孟の上告趣意のうち、判例違反をいう点は、所論引用の判例は事案を異にし本件に適切でなく、その余は単なる法令違反、量刑不当の主張であり、弁護人村田武茂、同太田耕治の上告趣意は、違憲をいう点を含め、実質は単なる法令違反、事実誤認、量刑不当の主張であって、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。
よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 大野正男 裁判官 園部逸夫 裁判官 千種秀夫 裁判官 尾崎行信)
上告趣意書
被告人 橋元昭子
右の者に対する所得税法違反被告事件(平成九年(あ)第一四号)の上告の趣意は、左記のとおりである。
平成九年三月一〇日
右弁護人 村田武茂
同 太田耕治
最高裁判所第三小法廷 御中
記
第一、原判決は、単純な過少申告を所得税法二三八条一項に違反すると判示するが、これは、同法条の解釈を誤り、ひいては、憲法三一条の定める罪刑法定主義に違反するものである。
一、被告人がほ脱したとされている金額中、平成二年の金一億一五五一万一五三一円、平成三年の八六〇二万八八九六円、平成四年の四四九六万三六五六円は、いずれも郵便貯金の利子である。これについて被告人は、単に利子所得を申告しなかったのみで、二重帳簿を付けるとか、何らかの所得隠しのための積極的な行為は行っておらず、その意味で、偽りその他の不正の行為は全く行っていない(ちなみに被告人は、郵便貯金の利子についても、銀行預金の源泉分離と同様、すでに税金が控除されていると考えていたのであり、後述するとおり、この範囲については脱税の故意もなかったのである)。
1 この点について最判昭和四八年三月二〇日は、単純な過少申告も、申告行為それ自体が「詐欺その他不正の行為」に該当するとして、所得税法二三八条一項違反を認める。
しかし、この判例は、その理由中に、最判昭和四二年一一月八日の大法廷判決を引用するのみで、何故に過少申告自体が「詐欺その他不正の行為」に該当するのか、その理由は明らかにしていない。
ところで、右大法廷判決は、「所論所得税法、物品税法の構成要件である詐欺その他不正の行為とは、逋脱の意図をもって、その手段として税の賦課徴収を不能もしくは著しく困難ならしめるような何らかの偽計その他の工作を行うことをいうものと解するのを相当とする。所論引用の判例が、不申告以外に詐欺その他不正の手段が積極的に行われることが必要であるとしているのは、単に申告をしないというだけでなく、そのほかに右のようななんらかの偽計その他の工作が行われることを必要とするという趣旨を判示したものと解すべきである。」としている。
この事件は、全く申告をしていない事案であり、判決は右に引き続き、事案への右要件の適用について「原判決は、単に正規の帳簿への不記載という不作為をもって直ちに詐欺その他不正の行為にあたるとしたものではなく、被告人が物品税を逋脱する目的で、物品移出の事実を別途手帳にメモしてこれを保管しながら、税務官吏の検査に供すべき正規の帳簿にことさら記載しなかったこと、他に右事実を記載した帳簿もなく、……………等の事実関係に照らし、逋脱の意図をもって、その手段として税の徴収を著しく困難にするような工作を行ったことが認められるという意味で、右判例にいう積極的な不正手段に当たると判断した趣旨と解せられる」と述べる。
2 右大法廷判決は、所得税法二三八条一項違反が成立するためにはほ脱の意図をもって、その手段として税の賦課徴収を不能もしくは著しく困難ならしめるような何らかの偽計その他の工作がなされたことが必要であるとしている。
この論理に従った場合、過少な金額を申告すること自体を、直ちに、税の賦課徴収を不能もしくは著しく困難ならしめる工作ということができるであろうか。
右大法廷判決が述べるところでは、帳簿への不記載や、物品移出の事実が分からない状況を作る等、税務調査そのものを困難にすることをもって、税の賦課徴収を不能もしくは著しく困難ならしめる行為としている。これに対して単なる過少申告では、税務調査などを困難ならしめることはないのであり、従ってこれをもって、「詐欺その他の不正の行為」ということはできない。
ところで、確定申告書の様式上、利子所得の金額は、「所得金額」欄の「利子所得」の欄に記載することになっている。この点を本件について見ると、被告人の平成二年ないし平成四年の申告書では、いずれもその欄が空白になっている。すなわち被告人は、利子所得という面に限れば、単に記載を怠ったにすぎず、まさに利子所得の申告を怠っているにすぎない。このような行為によって、税の賦課徴収が著しく困難になるとは考えがたいのであり、その意味でも本件は、申告を怠った場合と等価と言わなければならない。
3 もっとも、形式論理的には、過少な金額を記載した申告書の提出そのものを「偽りその他不正の行為」と解することも不可能ではない。
しかし、所得税法二四一条は、確定申告書の不提出自体を処罰し、これを一年以下の懲役としている。すなわち処罰の体系としては、単純な不作為である不申告を軽い刑に処し、「偽りその他不正の行為」という積極的な態様を伴う場合を重く処罰している。すなわち、不正の行為を伴うことをメルクマールとして、違法性の程度に差があると評価しているのである。
従って、二三八条を適用するためには、二重帳簿の作成、帳簿への虚偽記載、その破棄等、税の賦課徴収を困難ならしめる積極的な行為が必要であり、単純な利子所得の不申告は、本条に該当しないと言うべきである。
二、前項のように理解した場合、単純な過少申告が処罰されないことになり、不都合との考え方もあろう。
しかしこれは、罪刑法定主義の存在を忘れた議論である。
旧所得税法(昭和二二年法律第二七号)当時は、詐欺その他不正な行為による脱税のみが処罰され、単純な不申告は処罰の対象とされていなかった。このため、不申告は処罰の対象とならず、その後単純不申告についての処罰規定が置かれることになった。
この立法経過からすれば、当初積極的な不正行為を伴うもののみを処罰すべきと考えられたところ、申告書さえ提出しない不申告をも処罰すべきとの議論から、その処罰規定が作られたと解される。この改正過程では、積極的な不正行為を伴わない過少申告の処罰が議論されていないと考えられる。なぜなら、単純な過少申告は、税の付加徴収をことさら困難にするものではなく、違法性の程度からすれば、単純な不申告と差はない。それにもかかわらず、過少申告について特別の立法がなされなかったのは、これを積極的に処罰すべきとの議論がなかったからと考えざるを得ないのである。
このような立法の間隙を、構成要件の拡張解釈によって補おうとすることは、明らかに罪刑法定主義に反するものである。
第二、原判決には、判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認があり、破棄を免れない。
一、原判決は、被告人が利子所得に対する課税を回避するため、これを除外した申告を行ったとして、郵便貯金の利子を申告しなかったことについても故意を認める。
しかし被告人は、右当時、貯金の利子についても確定申告をする必要があるとは知らなかったのであり、所得税法二三八条違反の故意はない。従って、平成二年の金一億一五五一万一五三一円、平成三年の八六〇二万八八九六円、平成四年の四四九六万三六五六円の合計金二億四六五〇万四〇八三円の利子所得については、故意はなく、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである。
二、この点については被告人は、一審の法廷において次のとおり述べている。
私は、郵便貯金に利息が付くことは知っています。しかし、その貯金を継続や書き換えする際、利息について税務申告する必要があることは知りませんでした。
これに対して被告人は、平成六年三月三日付の調書の問一八では、次のように供述したことになっている。
利息も儲けですので、税金がかかることも知っていましたが、一度も申告をしたことはありませんでした。
もともと郵便貯金は、以波橋の売上げを除外して得た裏金から作成したものでしたので利息を申告すれば、仮名、借名で預け入れていた郵便貯金自体が分かってしまいますので、申告するつもりはありませんでした。
三、被告人は、貯金に利子がつくことは知っていた。しかし被告人は、貯金を継続したり書き換えた際、これについて確定申告をする必要があるとは知らなかった。
ところで、この点に関する被告人の右供述調書の内容は、利子も課税されることを知っていた、一度も利子について申告したことはない、裏金で作った貯金なので、仮名、借名が分かってしまうから、申告するつもりはなかった、というものである。
ここには、被告人が確定申告をする必要があると認識していたとの証拠は全くない。従って被告人には、申告から除外するとの認識もなかったと言わざるを得ない。
四、供述調書上被告人は、裏金で作った貯金なので申告するつもりはなかったと述べているが、この供述は、捜査官の誘導によって導かれたとしか考えられない。
被告人が利子の申告をしなかったとされている貯金の名義人には、被告人自身の外、その夫である橋元幸平名義や、その子供ら、孫ら名義のものも多数含まれている。いかに資金の出所が裏金であったとしても、被告人や夫名義のものについてまで、その出所をつきとめられるという理由から申告しないということは、理由にならない。なぜなら、被告人やその夫名義のものについては、その程度の額の貯金があることは不自然ではなく、また、子供らや孫名義のものについては、長年にわたって贈与をしてきたと言っても不自然ではないからである。
従って、これらの預金を含め、すべての貯金について、裏金で作ったことを理由に申告するつもりはなかったと説明することは不可能であり、被告人は申告する必要がないと考えていたから申告しなかったにすぎないのである。
五、昭和六三年四月まで、郵便貯金の利子については非課税とされており、その後は、地方税を含めて二〇パーセントの分離課税となっている。従って、通常の国民は、制度的に見ても、郵便貯金の利子については申告していないのである。その意味で、郵便貯金の利子についてまで確定申告時に申告する必要があると認識している国民は、ほとんどいないというのが実態であろう(昭和六三年以前には、預け入れ限度額以上に預けていた分については所得税が課されることになるが、そのような一種違法な貯金利子について申告する人がいるとは考えられないし、そのような利子について申告すべき事実が周知されることもあり得ない。また、同年以降は、申告自体が不要となっている)。
そして被告人も、国に預けた郵便貯金だから、課税されるのであれば当然差し引かれるものと考え(一般の国民からすれば、郵便局も税務署も、いずれも国の機関である)、利子について申告する必要はないと信じていたのである。
その意味でも、被告人が貯金の利子について意図的に申告しなかったとは考えられないのである。
六、ところで被告人は、売上げ除外によって税を免れようとした事実については争わない。しかし、だからといって、貯金利子を含め、すべての脱税について故意を有していたと認定すべきではない。
すなわち、売上げ除外と貯金利子とは、その所得としての性格が全く異なる。いかにほ脱額についての認識が概括的なもので足りるとしても、このように全く性格の異なる所得について、全体として過少申告の認識があれば足りるとしたのでは、ごく少額の過少申告の認識で申告をしたところ、他の原因で多額の過少申告であることが明らかとなったような場合、極めて不都合な結果となろう。従って、所得としての区分、性格が異なるものについては、故意を共通に考えるべきではない。
七、また、被告人が利子所得を申告しなかったとされている貯金には、前述のとおり、多くの被告人、その夫、子、孫ら名義の貯金がある。
元資料が証拠として提出されていないため十分な検討はできないが、これらの中には、真実、子、孫らに属する貯金も含まれているのではないだろうか。また、申告しなかった利子とされているものの中にも、適法な、すなわち、課税されない利子も含まれているのではないだろうか。
これらの点についても、十分に解明されてはいないといわざるを得ない。
第三、原判決の量定は、著しく不当であり、その破棄を免れない。
一、判例に現れた脱税事件と執行猶予
判例に現れた所得税法違反事件(一部、法人税法違反を含む)で、その刑の執行を猶予されたものについて、その量刑判断を検討してみる。
1 札幌高判平成四年七月九日(判時一四五五号一五七頁)
医師が、三年間で合計五億四〇〇〇万円の所得税を免れて事件において、懲役一年六月の実刑を言い渡した一審判決を覆し、その刑の執行を四年間猶予し、以下のとおり判示している。
被告人は、右余剰金の半分以上を被告人自身又は家族名義による株式の購入などに充てたが、投機的な売買はしておらず、かなりの部分は現金のまま自宅に保管していたほか、遊興費に充てたなどの事情も見当たらないこと、被告人が本件各犯行の発覚防止策を積極的に講じた形跡はなく、発覚後も、被告人は、事実を認めて査察及び捜査に全面的に協力し、「互助会甲野」を直ちに解散したこと、そして、起訴前に昭和五九年以降本件を含む五年分につき修正申告をしたうえ、金融機関からの借入などもして、所得税本税、加算税、延滞税及び右五年分の地方税の以上合計一一億五八〇〇万円余の追加納付を完了し……………原審及び当審公判廷において自分の非を率直に認めたうえ、今後同じ過ちを繰り返さない旨を誓うなど、反省の態度も顕著に認められること、被告人の前記病院では、本件を機に再発防止のため経営管理面の整備を行い、経理面でも改善の跡が認められること、被告人は前科前歴がなく、三〇年近くにわたり地域の医療に貢献してきたほか、……………被告人が服役する事態になれば、右病院経営にも深刻な影響が生じるおそれがあること、被告人は昭和六三年に破裂性腹部動脈瘤等のため手術を受け、人工血管を入れている状況にもあって、現在もなお健康状態が勝れないこと、被告人ないし右病院に対しては、近い将来、医師法、医療法等に基づく行政処分が予想されること、その他、被告人の年齢、経歴、家族の状況など、被告人のため酌むべき諸事情がある。
2 大阪高判平成二年七月一三日(税務訴訟資料一七九号三六二二頁)
会社経営者が、三事業年度で、一三億六〇八二万円余の税を免れ、その平均ほ脱率が約九二パーセントであった法人税法違反の事件において、七二才の被告人に対し、懲役二年の一審判決を破棄し、その刑の執行を四年間猶予し、以下のとおり判示している。
原判決後、被告人は法律扶助協会に金一億円を贖罪寄付し、更に社会福祉関係の団体にも同額の金員を寄付することにより、事故の犯罪行為に対する呵責の念を社会福祉等に裨益する形で示し、反省の情を更に深めていることが認められるほか、現在七二才の老齢にある被告人は軽度の知的機能低下を中核症状とし、感情障害、意欲障害、行動障害等を周辺症状とする老年痴呆あるいは、これと脳血管性痴呆との混合型痴呆に罹患し、現に治療中であるところ、かりに被告人が拘禁状態に置かれた場合には右周辺症状を急激に悪化させ、重篤なうつ状態または錯乱状態を惹起し、知的機能の低下を招き、痴呆が急激に進行する高度の蓋然性が存し、前記腸管癒着性、変形性足関節症等の身体的疾患も憎悪因子として痴呆を進行させる可能性が存するという状況にあることが認められる。
3 東京高判平成二年八月一五日(税務訴訟資料一七九号四二八〇頁)
証券取引によって一年間の所得税四億九〇八〇円余を脱税した会社社長について、実刑に処した原判決を破棄して刑の執行を猶予し、以下のとおり判示している。
当審における事実取調べの結果によると、被告人は、原判決を厳粛に受け止めて一層反省を深めると共に持株を処分し、あるいは銀行等から借金をするなどして、未納本税等五億六一八四万円を納付したことが認められるので、これらの情状に原審当時から存した被告人に有利な諸般の情状を併せ考慮し、本件の量刑につき改めて検討してみると、懲役刑について、その執行を猶予すべきものとまでは認められないものの、原判決の量刑をそのまま維持するのは明らかに正義に反するものといわざるを得ない。
4 名古屋地判平成二年一〇月八日(税務訴訟資料一七九号、三八三一頁)
有価証券の売買に関して、昭和六一年及び同六二年の二年間で、合計金四億五八六三万七四〇〇円の租税をほ脱した事例で、ほ脱率は昭和六一年が九九・九パーセント、同六二年が九九・八パーセントという事例において、右判決はその刑の執行を猶予し、以下のとおり判示している。
本件の摘発を受けるや被告人は借名口座を是正して自己名義に戻すとともに、査察、捜査に進んで応じて、事実関係の解明に協力したのであり、脱税の事実を覆い隠すような何らの罪証拠湮滅工作をしていないこと、本件発覚後間のない昭和六三年一二月金一億円を予納したのを含めて持株を売却処分して、平成元年三月までに本件ほ脱にかかる本税並びに重加算税、延滞税など附帯税の一切を完納していること、被告人には全く前科がないこと、過去において被告人は、所轄税務署で二度にわたり優良納税者として表彰を受けていること、被告人は本件を深く悔い、今後の適正な申告納税を誓約し、反省の態度が顕著であること、その年齢、高血圧、狭心症を患っている健康状態などを総合考察すると、原判決の量刑は、懲役・罰金の刑期・金額の点では是認すべきであるが、その懲役の執行を猶予するのが相当であると考えられる。
5 大阪高判平成二年九月二六日(税務訴訟資料一八四号七〇頁)
三年間で、法人税三億二〇〇五万五〇〇〇円、所得税三億三四四〇万二八〇〇円の合計金六億五四四〇万七八〇〇円をほ脱しており、ほ脱率は、法人税で八一・五パーセント、所得税で七六・七パーセントの事案で、懲役一年六月、執行猶予四年を言い渡した事例で、以下のとおり判示している。
原判決後、被告人は、大阪府社会福祉協議会及び日本赤十字社大阪府支部に対して、合計一億もの多額の贖罪寄付をし、また当審における三年間の審理中に反省の念が一層深まったことが認められ、さらに当審における証拠調べの結果明らかとなった前記査察と起訴に至る経緯によれば、被告人は執行猶予の可能性をほのめかすかのような査察官の不適切な言動によって、簿外経費について十分な主張を放棄せざるを得ない状況に追い込まれたとも考えられ、量刑も正義感、公平感に合致し、被告人及び社会をして首肯せしめるものでなければならない以上、前記のような被告人が査察官の安易な処理に翻弄された側面があったとの事情を広義の「犯罪後の情況」として量刑上斟酌することも可能であると考えられることの各事由をさきの諸情状に併せ考慮すれば、現時点においては被告人に対する前記量刑をそのまま維持することはいささか酷に失し、被告人に対しては、その懲役刑の執行を猶予するのが相当であると認められる。
6 神戸地判昭和六三年六月二七日(判時一二八二号一六九頁)
株式取引による所得を全部除外した確定申告書を作成、提出して所得税五億五〇〇〇万円余を脱税した会社役員に対し、懲役二年、執行猶予三年、罰金一億円の刑を科した事例で、以下のとおり判示している。
ほ脱率も一〇〇パーセントを超えるなど一般に脱税事件において重視される情状に照らすと、刑責は重いといわざるを得ない。しかしながら、本件を犯すに至った動機は、被告人が、……………八億円にも及ぶ多額の利得を得たが、今までは甲野化学工業株式会社の常務取締役ではあるが、年収一〇〇〇万円余の給与所得者として生活してきた身としては、初めての経験であり、また扱い兼ねる金額でもあったことから、このまま正直に申告すれば、住居地である相生税務署管内の高額所得者の一番となって公表され、そうなれば、会社内や世間からやっかみ半分の目でみられるとともに、会社が有価証券投資あるいは有価証券売買で多額の利益を得ているいわゆる財テクで有名な会社であるため、担当重役である被告人が会社資金を流用しているのではないかと誤解されるものと思い、株式取引などによる利益を零として申告すれば、多額の所得税を脱税することにはなるが高額所得者として公表されないためには、それも仕方ないものと考え、本件を敢行したものと認められるのであって、動機には十分酌量できるものがあること、株式などの取引はすべて被告人名義で行い、それに伴う資金の出し入れも……………被告人名義の普通預金口座のみにより行っているのであって、脱税をするための、またその発覚を妨げるための工作を全くしていないこと、大阪国税局の査察を受けるや、素直に事実を認め、所得税の本税五億五〇〇〇余万円・重加算税一億六六〇〇余万円及び市民税・県民税七七〇〇余万円をすべて納付し本件を深く反省していること、これまで前科前歴のないのは勿論、会社では精一杯働き、また社会家庭でも問題のない生活を置くってきたことなど被告人のために酌むべき事情も多々あり、これら諸般の情状を斟酌すると、主文の各刑及び猶予期間とするのが相当である。
7 大阪高判昭和六三年九月二一日(税務訴訟資料一六八号一九四四頁)
三年間で所得税三億八〇〇〇万円余を免れ、そのほ脱率が九九・八パーセントであった金属加工業者について、実刑に処した一審判決を破棄し、執行を猶予した事例で、以下のとおり判示している。
被告人の利益計算の基礎となる帳簿類は正確に記載されており、……………本件捜査に対して、自己の非を誠実に認めてこれを協力していることが窺われ、犯行の態様において反社会的、反道徳的な行為・手段を伴ったものであるとは認められないこと、被告人が本件犯行に及んだ責任の一半は不適切・不相当な対応や指導をしてきた前示商工会にあり、責任のすべてを被告人に問うことはいささか酷であると思料されること、本件後被告人は個人経営を止めて法人化するとともに、税理士に申告手続を含む経理事務を委任し、前示の商工会から脱会して再犯防止に努めていること、本件で、本税、重加算税、遅延税の合計五億五二〇三万六六〇〇円を支払っていること、被告人は昭和一〇年ころ来日以来文字通り刻苦勉励し、親族一同の経済的・精神的な支柱としてその世話に努めているだけでなく、同業者や従業員に対する思いやりも深く、それらの者から厚い信頼を寄せられており、社会福祉事業等への寄付等で地方公共団体からの感謝状を受けるなど、本件を除いては、真面目、誠実な社会生活を送っていること、被告人は、これまでさしたる前科がないこと、反省状況、健康状態、家庭事情など被告人に有利に斟酌すべき情状を総合考慮すると……………原判決は、懲役刑につき刑の執行を猶予しなかった点で重きに過ぎるといわなければならない。
8 岡山地判昭和六一年一月一四日(税務訴訟資料一五五号一七頁)
パチンコ店経営の会社の業務を統轄し、個人でもパチンコ店を経営する者が、三事業年度の法人税一億七二〇〇円余、二年分の所得税二億六八〇〇万円余を脱税したが、所得税の約二分の一は家族名義で申告納税していた事情も斟酌して、同人に対し懲役二年(執行猶予三年)、罰金三〇〇〇万円を併科した。
9 秋田地判昭和六一年四月一五日(税務訴訟資料一五五号六六七頁)
パチンコ遊技場・洋品店を営む個人が、三年間に四億六〇〇〇万円余の所得税を脱税し、(脱税率九五パーセント)した事実につき、被告人の出身・学歴・地域社会への貢献等を酌量して、罰金九〇〇〇万円、懲役二年(執行猶予三年)の刑を科した。
二、右各判例は、ほとんどの事例で脱税額が四億円を超え、最高では一三億円を超えているにもかかわらず、その刑の執行を猶予したものである。これらから、執行猶予を付した理由としては、以下の情状を抽出することができよう。
1 被害回復
右判例を概観すると、執行猶予を付すについて、脱税にかかる重加算税などを納付済であるか否かが大きな要因となっている(この点に直接言及しているものには、判例1、3、4、6、7である)。これは、本件犯行の保護法益が、国の課税権であることからすれば、当然と言えよう。
ことに、前記判例中3の判例では、一審判決後に未納本税等を納付したことを最大の理由として、控訴審において刑の執行を猶予している。
この点で被告人は、すでに二二億円余を支払い、国家としての被害は完全に回復されているのであり、原判決がこの点を十分に斟酌したとは考えられないのである。
2 手口
前記各判例では、手口が単純であることを被告人に有利な事情として斟酌している。
本件では、被告人は、売上げを単純に除外し、これを仮名もしくは借名の預貯金口座に入金していたのみであり、手口は極めて単純である。
もっとも原判決は、コンピュータから打ち出した売上げを記載した書面を焼却処分したことを指して、犯行態様が巧妙悪質であると評価するが、手口としてはもっとも原始的なものであり(巧妙に行うのであれば、コンピュータの打ち出すデータそのものが虚偽のデータとなるよう手当するであろう)、これをもって巧妙とはいえない。
また、仮名や借名の預金は、銀行員や郵便局長の勧誘により、しかも同人らの協力によって初めて成り立ったものであり、被告人が積極的に働きかけたものではない(借名などは、銀行員が、他の銀行関係者の名を自らの判断で借りて開設している)。もっとも、これら銀行員や郵便局長なども、企業や郵政当局の預金獲得競争に追われて行ったものであり、同人ら個人を強く責めることには躊躇が感じられる。
郵便局長自身が認めるとおり、郵便貯金は脱税の温床といわれる。それにも拘わらず抜本的な改革をせず、昭和六三年に源泉分離課税を選択したのは、財政投融資の財源を維持しながら税収を確保しようとの国の政策に基づくものであろう。また、コンピュータを使用しての口座管理が行われている現在、完全な名寄せを作ることは容易であり、少額の貯金については貯金限度額のチェックをしないとしているのは、限度額を超えての貯金を事実上認めるために行われているとしか考えられない。
これら、社会状況や国の政策に便乗した面はあるにせよ、この手口を巧妙と評価すべきではない。
3 地域への貢献等
被告人夫婦は、会社が安定し始めた昭和四九年頃から中部善意銀行からの感謝状を受け取るなどし、社会への貢献を始め、本件発覚以前に名古屋市の社会福祉事業に多額の寄付をするなどしている。
また、地域の防犯や交通安全にも協力し、各組織から感謝状を受領している。
この点については前記判例7では高く評価している。
この他、被告人の夫が「パーラーサロニカ」を開設したのは、出身地の町長に勧められたからであり、そこには、被告人の夫の自らのふるさとに何らかの形で協力したいとの意向も働いていた。
これら事件発覚前の社会的貢献について、被告人に有利な事情として評価されなければならない。
また、前記判例2、5では、贖罪寄付の存在についても、被告人らに有利な事情として高く評価し、一審の実刑判決を覆している。
その意味で、被告人夫婦の、本件発覚後の法律扶助協会への合計五〇〇〇万円の寄付や、日本赤十字社、中部盲導犬協会への寄付についても、十分に斟酌されるべきである。
4 捜査への協力等
被告人は、本件発覚後、積極的に捜査に協力し、自らの反省の態度を明らかにしている。このことも、前記各判例(1、4、6、7)では、被告人らに有利な事情として指摘されている。
事案によっては、捜査の手が入ってからも証拠隠滅などの工作のなされることが多いが、被告人はそのような行為に全くでていないばかりか、逆に真相を明らかにすることに協力している。
例えば、財産増減法を採用している本件では、仮に被告人が、増加の出発時点において自宅の金庫などに多額の現金を保管していたと強く主張すれば、それを他の証拠によって打ち崩すことは困難である。しかし被告人のこの点に関する供述は、極めて自然で、調査に協力している様子を客観的に明らかにしている。
また、その供述調書の内容も、むしろ捜査側に迎合的にすぎるくらいであり、虚偽を通そうとする様子は全く見られない。そして、これらの態度が、他の事件に比較して、被告人の脱税額をより多額にしている可能性は否定できない。この点についても、十分な斟酌がなされるべきである。
5 被告人の反省等
右各判例とも、当然ながら犯行に対する反省の態度について言及する。その中で具体的に指摘されているのが、個人事業の法人なりである(前記判例7)。
すなわち、法人になれば、複式簿記に従った帳簿等の備え付けが義務づけられ、税を免れることがより困難になるからである。
この点につき被告人は、すでにその事業の法人化を完了し、しかも、本件起訴を契機として、その取締役をも辞任し、経営には一切関与していない。すなわち、すでに再犯の可能性のあり得ない状況に自らを置いた。
これこそまさに、もっとも明確な形で自らの反省を明らかにしたものである。
三、被告人の経歴など
前記判例中には、被告人らの経歴において、苦難の人生を歩んできたことを有利な事情として取り上げるものもある(前記判例7、9)。
この点を検討するため、被告人の人生において起きた主な出来事を年代順に追ってみよう。
昭和二年三月二七日出生
昭和二三年二月(二〇才) 橋元幸平と婚姻、料亭「以波橋」勤務
昭和二四年八月(二二才) パチンコ店「以波橋」勤務
昭和四二年(四〇才) パチンコ店「以波橋」夫幸平の経営となる。
同年 夫幸平「橋元運輸」を追われる。
昭和四三年七月(四一才) 夫幸平「橋元工業株式会社」を創業する。
昭和四六年(四四才) パチンコ店「以波橋」移転。同店被告人の経営となる。
平成元年三月(六二才) 夫幸平脳梗塞で倒れる。
同年一二月 「パーラーサロニカ」開店
1 右期間中、昭和四六年頃までは、被告人にとって、経済的に極めて苦しい時期であった。
すなわち、被告人の夫である橋元幸平は、戦前からその兄である橋元幸吉が経営する橋元組に勤務し、戦前は、三菱が製造する飛行機(いわゆるゼロ戦等)を、名古屋市内の三菱の工場から各務原の飛行場まで牛に牽かせて運搬する作業などに従事していたが、戦後橋元組は、三菱重工などの下請けとして、運送関係の業務を行った。
右当時の家族意識や、右当時日本の社会自体も貧しかったこともあり、幸吉は被告人夫婦に対して、十分な給与を支給せず、被告人としては子供らの弁当のおかずにさえ困るほど苦しい生活を送っていた。
また日本が高度経済成長期に入って間もない昭和四二年には、夫幸平は、橋元組の後身である橋元運輸から追われた。この直前に、夫幸平は、その兄である幸吉より、パチンコ店「以波橋」の営業を譲られていたため、被告人が同店を実質的に経営することになったが、資産のないまま店の経営を譲り受けたため、当時同店の経営は非常に苦しかった。しかも昭和四六年の店の移転は、区画整理に伴うものであったが、新たな店舗用地の取得や店舗の建設のため多額の銀行借り入れを行っており、被告人は、これらの借金に追われながらも、苦労に耐え、経営を続けた。その後昭和五七年頃に入り、新種のパチンコ台(いわゆる「フィーバー」と呼ばれている種類)が入るとともに、パチンコブームが始まり、この時点において初めて、店の経営も順調に推移するようになった。
また、平成元年の「パーラーサロニカ」開店後は、地元の暴力団からいわゆる「みかじめ料」の請求を受けたが、被告人は、これに屈することなく、店にダンプが突っ込むなどの事件についても、自らが陣頭に立って問題を処理してきた。
このような経験から、被告人の生活は極めて質素であり、店の経営が順調になった後も、華美を競うようなことはなく、方法の是非は別として、もっぱら貯蓄を重ねてきた。
このように被告人が仕事一途であったことは、本件当時という店の経営が安定した時期においても、従業員(主任)には一週間交代で行わせている開店前の店の点検チェックを、被告人自身は毎日行っている事実からも容易にうかがわれよう。
2 このような生活であったからこそ、本件発覚後、重加算税などを含め、合計二二億円余の追徴税も納付することができた。
すなわち、多くの脱税事件のように、脱税によって得た財産を放埒な生活に費消していたのであれば、このように税を納めることもできなかったはずである。
既に述べたとおり、前記の判例では、脱税に伴う追徴税の納付の有無が大きな量刑要素となっている。それは、脱税による租税徴収権の侵害が回復された、という要素のみではなく、当該被告人の日常生活が、一般社会人としての規範を大きく外れた華美なものであったか否かを示す大きな要素だからということができよう。
3 また、前記判例では、被告人の前科の有無も量刑上大きな要素としてとらえられている。これもまた、被告人が社会規範から見て、規範意識の乏しい人格であるのか否かが大きな量刑要素となっている事実を示すものと考えられる。そして被告人には、当然ながら前科は全くない。
4 ところで、本件では、財産増減法によってほ脱額が特定されている。これは、純粋理論的には正しいかもしれないが、実務上の問題点を考慮すると、事件ごとの不平等を生じる。
すなわち、修正貸借対照表を完全に正確に再現できれば問題はないが、例えば、放埒な生活を送り、無駄な消費を繰り返したものについては、当該年度内の消費(支出)が多くなり、結果的に収入が少なめに推計されてしまう。
例えば、世上を騒がせている住専問題での借り手らは、極めて派手な生活を送っている。このような場合、収入がいかに多くても、資産はあまり増加しない。
いわば、真面目に生活しているものほど、ほ脱額が高額になる結果を招来するのである。
その意味からも、本件では、被告人の日常生活が質素なものであったことは、同人に有利な情状として、また、そのほ脱額の評価の際においても、生活が質素であるが故に、財産増減法では、他の案件に比してほ脱額がより高額になる可能性をもっていることを、十分に考慮されなければならない。
5 2に述べたとおり、被告人には、社会生活を営むうえでの問題点(反規範性)は全くない。むしろ、貧しい中で必死に生き、四〇歳代以降の努力の中で、やっと安定を得、これから老後の穏やかな生活を、という時期に本件犯行を犯してしまったのである。
被告人の年齢からも明らかなとおり、そこには、被告人自身が脱税による利益を享受しようというような積極的な意思はない。まさに、家族のために、子のために、という他利的な行動である。それが法規範に照らして許されないことは、論を待たないが、その心情は十分に酌まれるべきである。
四、「パーラーサロニカ」関連について
1 「パーラーサロニカ」は、被告人の夫幸平の経営にかかる店であり、被告人はその業務全般を統括してはいたが、そこでの所得そのものは夫幸平のものである。
もとより、被告人とその夫という関係では、純粋に第三者の利益のために税を免れたと言うことはできないが、法的には他人の利益のための行為であり、自己の利益のために行われた場合と比較すれば、その責めは軽い。
2 ところで、被告人の夫幸平は、平成元年に脳梗塞で倒れている。その後、リハビリを続けてはいるが、日常の判断は十分可能な状況にある。
他方、本件の脱税は、平成三年ないし同五年に申告されたものである。右のとおり、この時点では幸平も日常の経済活動に関する判断のできる状況にあり、その意味で被告人は、夫の経済活動に関する脱税についても責めを負っていることになる。
端的に述べれば、被告人は病身の夫をかばって犯行を認めている可能性も否定できないのである。
3 前記各判例の脱税額を考えた場合、「パーラーサロニカ」関係の部分を除外すれば、被告人自身の脱税額は、すでに論じた利子所得を含めても約五億八〇〇〇万円であり、これら事例の多くとほぼ等しい額である。
このような金額の比較から考えても、被告人を実刑に処するのは、過酷に過ぎると言わなければならない。
五、被告人の病状と量刑判断
原判決は、被告人に「虚血性心疾患等の病状が芳しくない状態が続いている」ことを認めながら、これらを考慮しても被告人を実刑に処すのが相当であるとしている。
ところで、被告人が受刑に耐えられるか否かは、行刑上の判断であり、量刑上重要な要素ではないとの考え方もあり、原判決の右判断は、そのような考え方に立つのかもしれない。
しかし、前記2の判例は、刑事訴訟法二四八条の趣旨は、「判決にあたって刑の執行を猶予すべきか否かを決定するに際しても準拠となりうる」として、被告人の病状を大きな要素として、脱税額一三億六〇〇〇万円余の事件において、その刑の執行を猶予している。また、前記1及び4の判例も、被告人の病状を、刑の執行を猶予した事情のひとつとして考慮している。
被告人を実刑に処すことは、後述するとおり、その生命にも重大な影響を与えかねないのであり、その事実を考慮すれば、被告人を実刑に処した原判決には、量刑上重大な誤りがあると言わなければならない。
また、被告人の現在の病状は、長期間の捜査等によるストレスの影響を強く受けた結果でもあり、それ自体が一種の肉体的制裁となっている。その意味では、被告人はすでに刑の執行を受けたのと類似した状況にあり、被告人を実刑に処すことは、二重に苦痛を与えることになる。従って、その意味からも、被告人に対する刑の執行は猶予されるべきである。
六、被告人の病状等について
1 狭心症
被告人は、「高血圧、虚血性心疾患(不安定狭心症)」と診断されている。
狭心症は、その誘因から労作狭心症と安静狭心症とに分けられる。労作狭心症は、労作や興奮などによって心筋の酸素消費量が増えるにもかかわらず、冠動脈による酸素供給量がそれに追いつかないことによって生じるものであり、運動量などを制限することによって比較的容易にコントロールすることができる。これに対して、睡眠中や安静時など心筋の酸素消費量が増していないのに発生するのを安静狭心症と呼ぶ。その原因は、器質的な冠動脈の狭窄が高度なため安静時でも発作が出現する例と、冠動脈の攣縮によって安静時でも発生する例とがある。
また狭心症は、その発作の経過によっても分類され、狭心発作の生じる付加の閾値や頻度が数ヶ月にわたって変化しないものを安定狭心症、この閾値が変動したり、頻度が増すものを不安定狭心症と呼ぶ。この不安定狭心症は、急性心筋梗塞症や突然死に至る可能性が高いと言われている。
2 被告人の狭心症
被告人の狭心症は、右の安静狭心症の不安定狭心症に属するものであり、そのコントロールが困難な分類に属する。
ところで被告人は、現在、狭心症の発生頻度が増加し、ニトログリセリンを月三〇錠服用している。これは冠動脈の狭窄が進行しているためと考えられる。このほか、降圧剤や冠血管拡張剤を服用して内科治療を受けているが、血圧の日変化が激しいため、投薬量を増やすこともできない。すなわち、血圧が低下することもあるため、降圧剤などを増量すると低血圧の状態となり、ふらつきから転倒などに至るおそれがある。このため薬剤による治療も困難であり、心筋梗塞へ移行する可能性が高いと言える。
また、このため、二四時間体制で監視し、いつでも病院に駆けつけることができるようしておく必要がある。
3 ストレスなどの影響
狭心症の原因のひとつとして、A型行動の類型に属することや精神的ストレスがあげられる。
A型行動の特徴は、次のように言われている。
性格面では、強い目標達成衝動、競争心旺盛、野心的、時間に追われている感じをもつ、性急でいらつきやすい、過敏で警戒的であることがあげられ、行動面では、爆発的で早口の喋り方、多動である、食事のスピードが速い、一度に多くのことをやろうとする、いらだちを態度に表す、挑戦的な言動、特徴的なしぐさや神経質な癖があげられる。
被告人は、その生活歴において、夫が橋元組から追い出され、パチンコ店を自らの手で運営し、かつそれに成功していることや、「パーラーサロニカ」で暴力団からの「みかじめ料」の要求に対して現地に乗り込んで解決していることなどからもうかがわれるとおり、強い目標達成衝動をもっている。また、その性格は性急であり、行動面では、早口、多動、一度に多くのことをやろうとするなど、A型行動の多くの要素を満たしている。その意味からも狭心症が悪化し、更に心筋梗塞に至る危険性が高いと考えられる。
また、万一実刑判決が確定して刑務所に収監されれば、そのストレスが被告人の病状を悪化させる危険性も高い。すなわち、ストレスが狭心症などの心臓疾患に悪影響を与えることは定説となっている。他方、刑務所などへの収監がどの程度大きなストレスとなることは、医学的にも証明されている。すなわち、Holmes及びRaheらによる社会再適応評価尺度によれば、刑務所への収監は夫婦の別居生活に次いで四番目の高い数値が与えられている。右は、外国での研究であるが、日本の場合には、家意識などがストレスをより大きくする可能性もある。しかも被告人には、すでに自身の病気や夫の病気など、右評価尺度において高い単位を与えられている事象が存在するのであり、収監が重大なストレスとして、被告人に重大な悪影響を与えるであろうことは明らかである。
現に被告人は、一審において実刑判決を受けた後の平成八年七月から胸痛の出現が頻回となっている。この事実からも、そのストレスが狭心症に重大な影響を与えていることは明らかである。
4 収監中の治療などの困難性
狭心症の発作を繰り返すうちに、重篤な心虚血が生じ、このため心筋の一部が壊死する、心筋梗塞が発症する可能性が高い。
そのような急性心筋梗塞の場合、発症後二時間以内には約半数の患者が死亡するに至る。このため被告人は、胸の痛みが一五分以上続く場合には、直ちに中部労災病院に駆けつけるよう指導されている。すなわち、ニトログリセリンを含んでも痛みがとれない場合には、心筋梗塞に至っている可能性が高く、緊急の処置をとる必要がある。しかもその処置は、CCU(冠疾患集中治療室)における重装備かつ迅速な治療が必要なのである(CCUでは、心臓専門医が常駐し、血管カテーテル検査、血管拡張術、バイパス手術がいつでも行いうる体制がとられていることが要求される。)
ところが、収監されたのでは、臨機に治療を受けることは困難であり、ましてや収容施設外のCCUにおいて迅速に治療を受けることは更に難しく、前述のストレスの悪影響を含め、実刑判決は被告人の生命をさえ危うくするおそれがあると言わざるを得ない。
5 まとめ
被告人は、そのコントロールが困難な安静狭心症であり、しかも不安定狭心症に属する病状である。また、被告人はA型行動類型に属しているため、狭心症が悪化しやすい素因をもっており、受刑というストレスに耐えられない可能性が高い。しかも受刑中に心筋梗塞が発症した場合には、迅速かつ適切な治療が受けられるか、極めて疑問でもある。
行刑が生命にさえ危険を及ぼす可能性が高い場合には、その刑の執行は猶予されるべきであり、この点についての原判決の過ちは、訂正されなければならない。
ちなみに、被告人に対する捜査は、在宅のまま行われているが、これは、捜査官からしても、被告人が毎日ニトログリセリンを服用している身体の状況では、身柄拘束のうえで捜査を行うことが困難と判断していた事実を物語るものである。
第四、結語
以上の述べてきたような被告人に対して、国としての損害が完全に回復されている状況において、なおかつ実刑をもって望む必要があるのだろうか。少なくとも特別予防の見地からは、その必要性は全くない。また、一般予防の見地からしても、いかにその脱税額が高額であるからとはいえ、前記のような生活を送ってきた高齢の被告人に対して、しかも、肉体的にも危険な状況にある同人に対して、実刑をもって臨むことは、あまりに酷な結果を生むものといわざるを得ない。
被告人は現在、脳梗塞の結果片麻痺となっている夫の世話をしながら、また、自身の狭心症の治療をしながら、静穏な老後の生活を送ることを願っている。またその夫も、すでに経済活動を離れ、被告人との静穏な生活を希望している。
本件に対する深い反省や、家族などに迷惑を掛けたという思いは、被告人にとって極めて大きなストレスとなり、前述のとおり、被告人の狭心症の進行という形となって現れている。また、このような強い身体反応を生じさせるについては、捜査開始から起訴までに二年余を要したため、それらの長期間にわたる不安定な心理状況が影響していると考えざるを得ず、それが被告人の肉体的な苦痛(胸痛等)となって現れていると考えられる。
この被告人を更に実刑に処すことは、二重の苦痛を与えることになるのであり、結果的にあまりに過酷な、残酷とも言える刑罰を科すことになるのである。
弁護人の立場からは、弁論要旨などに述べられているとおり、事実関係の詳細に立ち入って弁護活動を行う余地もあった。しかし、被告人の精神的、そして肉体的苦痛がこれに耐えられず、訴訟の早期進行を求めざるを得なかったのである。
以上縷々述べた事情に、仮に郵便貯金の利子についての過少申告が有罪と認められるとしても、それが一般の認識から考え、ほとんど申告されることはあり得ないものであること(昭和六三年以前は非課税であり、それ以後も源泉分離課税となっていることから、日本国民で郵便貯金の利子について確定申告をした者は、誰一人存在しないと考えられる)、更に、所得税法二四四条一項違反事件(「パーラーサロニカ」に関する部分)が、他利的な犯罪であること等を併せ考慮し、いたずらに金額に目を奪われることなく、事案の実態を直視した判断を下されることを望むものである。
すなわち、本書面に引用した判例に比較して、被告人の犯行はことさら悪質なものではない。むしろ、本件犯行は、刑の執行を猶予した右事例に対比した場合、これら判例が被告人らに有利な情状として指摘しているほとんどすべての事項を網羅しており、その意味では、これら事例よりも情状面では軽いとさえ言い得る。この比較の上からすれば、原判決の刑の量定は、著しく不当であり、これを破棄しなければ、著しく正義に反するものと確信する。
以上
上告趣意書
被告人 橋元昭子
右の者に対する所得税法違反被告事件(平成九年(あ)第一四号)の上告の趣意は、左記のとおりである。
平成九年三月一〇日
右弁護人 髙橋美博
同 今枝孟
最高裁判所第三小法廷 御中
記
第一、原判決は、郵便貯金利子の単純な過少申告を所得税法二三八条一項違反として問擬するが、この判断は同法条の解釈を誤り、かつ、判例(最高裁判所大法廷昭和四二年一一月八日判決)に違反するものである。
一 原判決は、課税所得の中に算定した合計二億四六五〇万円余の郵便貯金の利子所得の不申告について所得税法二三八条一項に該当する旨の結論を判示し、その理由として「しかし、特別の工作を行うことなく単に真実の所得を隠蔽し、所得金額をことさら過少に記載した内容虚偽の確定申告書を提出する行為自体、所得税法二三八条一項にいう『偽りその他不正の行為』に当たると解される」との判断をしている。
二 所得税法二三八条一項は、その構成要件として、「偽りその他不正の行為により、(中略)所得税の額につき所得税を免れ(後略)」と規定しているのであって、所得税ほ脱者による偽りその他不正の行為の存在を不可欠の要素としているのである。すなわち、税ほ脱の意図をもち、かつ、その方法としての税の賦課徴収を不能ないし著るしく困難にせしむるような態様による偽計その他の工作を行うことを要件としているのであって、前記の如き工作の伴わない所得税不申告自体は、所得税法二三八条一項の枠外としていることが法条の文言・体裁から明らかである。
三 最高裁昭和四二年一一月八日大法廷判決(刑集二一巻九号一一九七頁)は、「逋脱罪の構成要件である詐偽その他不正の行為とは、逋脱の意図をもって、その手段として税の賦課徴収を不能もしくは著しく困難ならしめるようななんらかの偽計その他の工作を行うことをいうものと解するを相当とする」という解釈を既に示している。右は物品税法違反の事案であるが、当時の所得税法であっても現行の所得税法であっても、規定の趣旨や文言の意味は右の最高裁判決の示す物品税法の場合とまったく変らないので、前記判示は本件にそのまま妥当するものといわざるをえない。そして前記判示は事例判例ではなくして理論判例であるから、本件においても所得税法二三八条一項の解釈についてその射程距離に含まれるものといわざるをえない。
四 前記大法廷判決の後である昭和四八年三月二〇日第三小法廷判決(刑集二七巻二号一三八頁)は、所得金額をことさらに過少に記載した内容虚偽の所得税確定申告書を税務署長に提出する行為自体、単なる所得不申告の不作為にとどまるものではなく、詐偽その他不正の行為にあたるものと解すべきである旨を判示している。しかしながら、右昭和四八年小法廷判決は前記昭和四二年大法廷判決の理論を変更したものではない。理論判例である昭和四二年大法廷判決を昭和四八年に最高裁判所で変更をするとするならば、昭和四八年には判例変更の判示をする構成体である大法廷をもってでなければならないところ、そのような方式はとられておらず、前出大法廷判決の示した理論は、先例たる判例であると受けとめて位置づけざるをえない。
五 原判決は、最高裁昭和四二年一一月八日判決に抵触するものであって、原判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄されるべきである。
第二、原判決の量刑は重きに過ぎ著るしく不当であって、破棄されるのが相当である。
一 原判決は併科の懲役刑につき実刑を宣告しているが、この処断は、ほ脱の数額および率という外形・結果に目をとらわれすぎて、被告人の身上等を中心とした個別事情についての斟酌を著るしく軽きにおいたものである。以下その主要な点のみを摘示する。
(一) 被告人には、高血圧・虚血性心疾患(狭心症)の持病がある。加齢が一つの要因であるが、永年にわたる国税や検察の捜査をうけてストレスが累積したことが主たる原因である。ニトログリセリンを常用しているが、高血圧の症状との関連で狭心症治療の投薬は専門家であってもかなりの困難を伴うものである。刑務所内治療や刑執行上の裁量で被告人の持病に対応するというのも一つの行き方ではあるが、他の被告人に有利な事情と相まってこの被告人の身体状況を直截にとらえて、刑の執行の猶予をもって臨むという選択も当然にありうるところである。裁判例一般においても、単に持病があるという一事ではないものの、他の事情と併せて病状を量刑のうえで重要視して刑の執行を猶予した事例が多数みられるところであり、この量刑の態度は正しいというべきである。被告人の狭心症は心筋梗塞に至るまでの前過程であることは明らかであって、被告人にとって矯正収容所内での生活は、その生命を縮めまた削ることになることが必至である。被告人の如きこのような特殊の事例の場合においては、刑事政策における一般予防を強調することは正しい方向付けではなく、刑の執行を猶予するという量刑の選択が正しいものといわざるをえない。原判決が実刑を宣告したのは被告人の病状の実態を充分に認識することなく、一般予防に秤をかけすぎたものといわざるをえない。この観点から被告人の懲役刑は執行を猶予されるのが相当であり、原判決の量刑は不当に思いものである。
(二) 被告人は、税ほ脱結果を一〇〇パーセント回復せしめた。重加算税をも含めた一切の国税ならびに連動地方税をこれまでに納付し終わったものであり、税ほ脱事件の裁判例一般の量刑においても課税権の実行が満足の状態になったときには、これが刑の執行を猶予すべき大きな事由とされているのである。そして被告人が未納の税や附帯の税を完納したのは、単に自己の罪責を軽くする目的から功利的な意図でこれをしたものではなく、被告人の各供述調書や供述にあるように真摯な反省に基づいてのことであることが明らかである。
(三) 被告人のこれまでの全人生を通じての人格態度を観察するとき、税ほ脱を敢行したのが不思議とさえ思われるほどである。被告人には前科がなく、家族思いで、自らは何ひとつ栄耀をせずに粗衣粗食で耐えてきたものである。ぜい沢とは一切無縁の生活の仕方を何十年と重ねてきたのである。税ほ脱による金銭を費消するのでもなくそのまま蓄積してきただけの人生である。本件の脱税という一点を除けば、被告人には倫理・道徳にあってさえこれに反する個所を見出しえないのである。このように社会と善良に親和し、華美とはほど遠い生活態度を持してきた被告人のこれまでの経歴は、本件の量刑に当たって充分に斟酌されるのが相当である。
(四) 被告人の反省は大きくかつ深い。被告人は、反省という言葉の通常もつ枠に納まりきれない域の、自虐ともうけとれる内心の葛藤すなわち自己の犯した行為に対する徹底すぎるほどの自省を日夜反覆しており、社会に対する申訳のなさや家族に汚名を及ぼしたことを気にやんでおり、自らの手で自らの生命を縮めるのではないかと周囲が憂慮しているのが真実である。被告人のこの反省からくる懊悩は極限に達しており、被告人の反省の情は疑いを差挟む余地がないほど大きい。すべての被告人がすべて反省すると言う反論は、被告人が現にある反省の実情の前では反論でさえありえないのである。
二 以上指摘の諸点からすれば、被告人を懲役の実刑に処した原判決は、刑の量定が著るしく不当であり、これを破棄しなければ正義に反するものといわなければならない。